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こんにちは大番頭のヤマグチです^^

今日は暖かく紅葉日和ですね

こんな日はホントお城散策したくなります(笑)

継続している国宝4天主シリーズも残り2城となりました

今回は地元滋賀の彦根城をピックUPします^^

ココで突然ですが・・・

「彦根と言えば?」勝手なワードランキング〜♪♪

1位 紙本金地着色風俗図(六曲屏風一隻)

2位 湖東焼

3位 赤備え


たぶん、どれも全国区ではないので一部の方々しかご存じないかと思いますが

と〜っても深いんですョ

その中でも「紙本金地着色風俗図」は通称「彦根屏風」と呼ばれています

江戸時代(1624〜44)に当時の京の遊里の様子を描いたもので

初期風俗画を代表する傑作として評価が高く国宝指定されています

筆者は不明ですが現在は狩野派絵師と推定されている謎の多い屏風です

数年ごとに彦根博物館の特別展で見学することができますので

興味のある方はこまめにチェックしてみてください(←私は1度だけ見学しました)





【国宝】彦根屏風





ここから本題突入デス〜♪



国宝4天守シリーズ?

近江「彦根城」に行ってみた






【国宝天守】天下普請で建造されました



1600年の関ヶ原合戦の戦功により井伊直政は石田三成の旧領18万石と

佐和山城を徳川家康より賜りました(←直政は彦根藩初代藩主)

徳川家・豊臣家の対立する時代、大阪城へ向けて最前線の城でもあり

徳川家重臣である井伊家が置かれたのは納得できるところです





【大手門】安土桃山時代は正門の役割を担いました



1604年に臨戦態勢が続く中、新城造営を始めたのは2代藩主の直勝になります

一期工事は大阪城の抑えの城として、天下普請により大名13家・旗本9家が動員

急ピッチで進められました





【いろは松】表門に向かう中堀に47本植えられてこの名称に(現33本)



1615年の大阪夏の陣によって豊臣家が滅亡すると

3代藩主の直孝は大名井伊家の居城として二期工事を開始します

その際、それまで正門とされていた京の都・大阪城の方向(西側)を向いて築かれていた京橋口・大手門から、江戸城側の方向にある佐和口・表御門に正門が変更されました

佐和口前にある「いろは松」はまさに藩主を迎える吉祥の松として植林されたものです

以後、井伊家14代の居城として明治まで存続しました





【佐和口、佐和口多門櫓】重要文化財



築城当初の佐和口多門櫓は佐和山城からの移築でしたが1767年に火災で類焼

現在の建物は1769年から8年の歳月を掛けて再建されています





【表門】江戸時代以降の正門





【表山道・廊下橋】



表門から坂を上がって行くと廊下橋が見えます、非常時には橋を落として

敵の侵入を食い止める重要な役割を担っていました





【天秤櫓】重要文化財 画像が納まりません〜涙



廊下橋を中央にして建てられてるのが天秤櫓です

まるで天秤のような形をしていることからそのように呼ばれていますが

左右に建築されている櫓の屋根形態が相違していますよね?

長浜城や小谷城、大津城の櫓を移築した為に揃わなかった

って説もあるようですが現在のところ特定はできていません

日本の城郭でこの形式のものは彦根城にしかなく貴重な建造物になります





【天秤櫓】左





【天秤櫓】右





【太鼓門櫓】重要文化財



本丸への最後の関門は太鼓櫓です

門をくぐり逆側(東側)から太鼓門櫓を見ると壁がありません

柱間に高欄を付けて渡り廊下になっています

これは太鼓の音を響かせるために考えられたのでは?

と言われていますが画像を撮るのを忘れてしまいましたww(スミマセン)





【天守】国宝 本丸から撮影しました^^ベストショット♪





【ひこにゃん】人だかりの原因はこのニャンコの仕業デースww



以前、私の子供が「ひこにゃん」に年賀状を出したことがありました

そうなんです、律儀に返信をくれたんですよ〜笑

(彦根市役所の皆さま子供に夢を与えて下さって有難うございます♪)





【天守】西の丸から撮影





【西の丸三重櫓】重要文化財



10m以上の高い石垣の上に築かれています

小谷城から移築されたと言われてますが、特定できていません

また、三重櫓東一帯は桜が植えられ、お花見スポットとしても有名なんですョ^^





【黒門山道】少し急な坂道ですが玄宮園・楽々園へ最短ルートです





彦根城は通し柱を使わず各階ごとに積み上げられています

3層3階地下1階の複合式望楼型の平山城です

「牛蒡積み」(ごぼうづみ)といわれる石垣で支えられ

2重目以上の窓はすべて華頭窓を配し

最上階には実用できない外廻り縁と高欄を設けています

各重には千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を盛り沢山に配し

見る方角により様々な表情が見られるちょっぴり派手な天守です

現在は大津城天守(4重5階)を3重に縮小して移築したとの説が有力です

昭和の解体修理の際、用材から大津城の物が利用されていることが確認されました



乱世政権争いの中、工期短縮が目的で様々な城から移築構成された彦根城

ある意味、近江のお城の集大成だと思います

後世に引き継げるようにしっかりお手入れ・保存して戴きたい気持ちでいっぱいです

(↑お手伝い出来ることは何でもしますので!)



近江にお越しの際は是非、彦根城へお立ち寄りください

彦根博物館では様々な特別展が開催されていますのでとても勉強になります♪





▼アクセス

滋賀県彦根市金亀町1-1



by大番頭^^


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