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暑い日が続きますね〜大番頭のヤマグチです♪

弊社の住宅展示場がある多治見市では38度の超夏日が続いています。

感想を言いますとサウナ状態でしょうか?もぅ〜とけそうです(-"-)



行ってきましたよー名古屋ボストン美術館の「日本美術の至宝展」

会場の展示スペースの関係上、前期・後期に分けて開催になります。

↓ ↓ ↓





メディア、マスコミは「曽我蕭白」「平治物語絵巻」推しでしたが、

(↑もちろん、展示物の前で並ばないと見学できない位に大人気です)

個人的には「狩野永徳」「長谷川等伯」の屏風かな〜?

この方々の作品を目にすると足がすくみます、と言いますか血の気が引きます(笑)。

日本に存在していたら重文、等伯の龍虎図は国宝になっていたことでしょう。

幸い目玉扱いでは無いので作品の前はガラガラ。ゆっくり見学させて頂きました♪

後期は9/29〜からの開催です、とても楽しみにしてまーす(^^)





で、本日のテーマはコチラ!!



有松絞りと江戸情緒

東海道「有松宿」に行ってみた

(東海道五十三次に数えられてない間の宿)







有松宿の景観の美しさを、設計デザイナーの研修で耳にしたことがあり

一度見てみたかったので立ち寄ってみました。(←暑かったけど)







有松宿は慶長13年(1608年)、東海道の宿場町、鳴海宿と知立宿

の間の宿として設けられました。







正式な宿場町では無い為、本陣や脇本陣、旅籠などの施設は認められず、

基本的には旅人などが宿泊で利用することが出来ませんでした。







その為、尾張藩では竹田庄九郎が考案した絞染を奨励し、経済的な主要の糧

としました。







絞染は特に有松絞と呼ばれ、尾張藩の庇護もあり全国的に知られるようになり

有松宿も大きく繁栄します。







天明4年(1784年)に有松大火により宿場内にあった多くの建物が焼失しました。

(旧街道マニア、歴史ヲタにはとても悲しい出来事です)







建物の再建にあたっては屋根を瓦葺、外壁を塗屋造か土蔵、2階の開口部は

虫籠窓や土扉を設けるように定められ、その後の建物もそれらの形式を引き継ぎました。







現在の有松宿の町並みも木造2階建、切妻、桟瓦葺、塗屋造、平入の町屋

建築が数多く残り「名古屋市有松町並み保存地区」に指定されています。









有松宿は名古屋近郊に位置します。

なので、街道に足を踏み入れた瞬間にタイムスリップって感じでしょうか?

近代的な都市〜江戸情緒漂う街並みへ・・・

機会があれば訪れてみて下さい。



▼アクセス

愛知県名古屋市緑区有松町有松

名鉄名古屋本線有松駅から徒歩5分

※車の場合、近くにコインパーキングあります



今日はこのへんで・・・





by.大番頭(^^)v


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