小番頭ハットリです。
今、欠かさず見てるドラマが
「半沢直樹」と「あまちゃん」と「八重の桜」なんですけど、
「倍返しだ!!」はともかく、
あとの二作品のせいで、意味もなく東北訛りが日常会話に出てしまう毎日です。
じぇじぇ!おら100%関西人のくせに、まっだぐよぐわがんねえ現象だす。
だげんじょ、今日はそのドラマに関する投稿なので、
こんな感じで書いていくけど、堪忍してけろ。
(きっと一口に東北訛りといっても、岩手と福島では全然違うと思うけど、
自分の中ではもうぐちゃぐちゃです^^;)
2013年NHK大河ドラマ
「八重の桜」特別展に行ってみた
この特別展は、京都文化博物館で7月13日からやってたのですが、
当初あまり行く気がしませんでした。
というのもドラマの中で「戊辰戦争(会津戦争)」が、
何週にもわたってやたら長々と描かれており、
会津藩からすれば、もうとにかく希望の無い戦いですから、
すっかりこちらの気持ちも暗くなってしまい、
そのせいかどうか知りませんが視聴率も低迷していたように思います。
それが、最近ようやく明治時代に入って展開的に面白くなってきたので、
やっと行く気になったというわけです。
歴史に疎い私は、もちろんこのドラマを見るまで
山本(新島)八重もその兄、覚馬のこともまったく知りませんでした。
いやいや、幕末や明治のこともどちらかといえば浅い浅い認識でした。
明治維新というと土佐や薩長などの勝ち組、
はたまたその対抗馬として新撰組などがフィーチャーされがちですが、
今回会津藩の本当に不条理なボコられ方、
またそれを糧に頑張った山本覚馬と八重という兄妹の功績を知るにつけ、
本来なら坂本龍馬級の偉人たちだと思いました。
資料を見る限り松平容保もとても立派な方だったんじゃないでしょうか。
降伏の書状を見ても、責任を一身に背負おうという気持ちが分かります。
容保は八月十八日の政変での働きを認められ、
孝明天皇からご宸翰(ごしんかん:天皇直筆の手紙)と
御製(ぎょせい:天皇の和歌)を賜りました。
それは極めて異例のことで、天皇の信頼が本当に厚かったようです。
それがどいううわけか、結果的に朝敵にされ、逆賊呼ばわりなんて酷い話です。
明治政府はその事実を隠蔽しようと、
容保に高額提示してそれらを買い取ろうとしますが、
容保は、死ぬまで手放すことはなかったといいます。
義に厚く、幕府にも朝廷にも誠実だった会津藩。
にもかかわらずボッコボコって!?なんすかこれ?この不条理。
当の徳川家の将軍、慶喜はとっととケツまくって悠々自適ですよ(これも偏見ですが)。
ほったらこと考えると、すぶん(自分)も要領がいい方ではないので、
ほんど、切なくなってくるべ(T T)。
もちろん会津の人は考え方が古く頭が硬かったなんて見方があるし、
私も今までそう思ってきましたが、
八重も覚馬もやってることは先進的過ぎるくらいです。
歴史は常に勝者によって塗り替えられてきたということを痛感しました。
でも、覚馬も八重も政治的には完全な負け組にも関わらず、
政府が重用しないわけにいかなかった人物たちでしょう。
ある意味凄いですよね。
こんな人たちこそ本物の実力者なんでしょうね。
「八重の桜」展は、9月1日までです。
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